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浅舞酒造は1917年(大正6年)創業。創業者の柿﨑宗光は、「天の戸は静かに明けて神路山 杉の青葉に日影さすみゆ」という古歌から、酒名を〈天の戸〉としました。〈天の戸〉とは天照大神の逸話で知られる「天の岩戸」のこと。ラベルなどに勾玉 (まがたま)があしらわれる由縁ともなっています。

 


蔵は横手盆地のまん真ん中。奥羽山脈に端を発する皆瀬・成瀬の川はこの横手盆地に沃野を生み、酒米の育つ田んぼをうるおします。そして、その川の一部が伏流水となって蔵の近くに湧水群をつくります。天の戸の仕込み水である「琵琶沼寒泉」もその湧水の一つです。酒米を育てた水が冬、今度は仕込み水としてお酒を育てます。
 


浅舞酒造は2011年より蔵から五キロ内の米で、純米酒だけを仕込んでいます。光と風と水の恵みを酒米という丹精の結晶にしてくれる「JA秋田ふるさと・平鹿町酒米研究会」の農家さんたちの米だけで千石を醸します。
 


水、そして米。
横手盆地の「とっておき」でつくった〈天の戸〉をご愛飲ください。

 


1917年(大正6年)創業
蔵がある平鹿町浅舞は、秋田県の南、横手盆地のまん中に位置する穀倉地域。奥羽山脈に端を発する皆瀬・成瀬の川はこの横手盆地に沃野を生み、その川の一部が伏流水となって蔵の近くに「琵琶沼寒泉」という湧水群をつくる。

明治時代、産出量30万俵にも上る良質な米と、江戸時代の民俗学者菅江真澄(すがえますみ)が誉めたたえた、この美しく豊富な湧き水に恵まれた酒造りに絶好の土地柄でありながら、土地の人々は清酒を県内の湯沢、六郷方面から買い求めていた。平鹿町に造り酒屋がないことを残念に感じていた柿崎宗光は、地元から協力者を募り、資本金2万円で浅舞酒造株式会社を設立。地元の需要を充たそうとした。

創業者の柿﨑宗光は、「天の戸は静かに明けて神路山 杉の青葉に日影さすみゆ」という古歌から、酒名を〈天の戸〉とした。〈天の戸〉とは天照大神の逸話で知られる「天の岩戸」のこと。ラベルなどに勾玉 (まがたま)があしらわれる由縁となる。 

1934年(昭和9年)
全国品評会特選、4年連続優秀賞を受賞

1943年(昭和18年)廃業、そして再開
戦時下の昭和18年、抜き取り企業整備が断行される。この地区の34社中20社の中に指定された浅舞酒造は、苦しくも廃業に追い込まれる。しかし、地域の人々の「天の戸を残して」の強い要望が大蔵省まで届き、翌年の12月6日、特例として新たな酒造免許が交付され醸造を再開する。

1968年(昭和43年)特級規格の純米酒を発売
三代目社長の柿崎三良(さんりょう)が、県内の同業者に先駆けて米・米麹だけで造る『純粋天然醸造酒 陶然 秋田心』を発売、好評を得る。

1983年(昭和58年)吟醸酒造りを中止
業績が下降線をたどり始め、「市販されない吟醸酒」の造りを中止。

1988年(昭和63年)平鹿町酒米研究会の発足と吟醸酒造りの再開
名実共に現在のパートナーである『平鹿町農協(現・JA秋田ふるさと)平鹿町酒米研究会』が発足。会員10名、美山錦2.5ha作付。当時専務だった、4代目社長となる柿崎秀衛(ひでもり)は吟醸酒を「蔵の柱」「蔵の看板」と考え、熱意をもって吟醸造りを再開。しかし、試行錯誤と苦戦の日々が続く。

1990年(平成2年)AK-1秋田流花酵母発表
秋田県醸造試験場が新酵母『AK-1秋田流花酵母』を発表。岩野君夫場長が中心となってこの新酵母を使っての詳細な酒造りのマニュアルを作成し蔵元に届ける。この酵母とマニュアルが天の戸の吟醸酒造りを大きく前進させる。
柿﨑秀衛の中学の同級生、森谷康市が杜氏となる。

1991年(平成3年)全国新酒鑑評会で初の金賞受賞
全国新酒鑑評会で金賞を受賞。以後5年間(1991~1996年。95年同会は行われていない)県産米(美山錦、吟の精)で5年連続金賞を受賞。秋田県で初の快挙となる。

1992年(平成4年)
級別制度が廃止され、一般 に広く「大吟醸」「純米酒」などの製法別の表示が認知されはじめる。

1993年(平成5年)酒米の全量買い入れへ
大冷害(作況指数56)のために酒造組合から配分されるはずの米が入手困難となり、希望通りの酒造りができない状態に。地元で作った良質の酒米がすぐ近くにありながら自由に使えない悔しさをきっかけに、平鹿町酒米研究会の酒米を全量買い入れに動き出す。酒米生産者と手を組んだ「酒は田んぼから生まれる
という蔵のモットーはここから始まった。

1995年(平成7年)『夏田冬蔵』出版
夏は田んぼで酒米を作り、冬は蔵で酒を造る。杜氏の森谷康市が無明舎出版より『夏田冬蔵 新米杜氏の酒造り日記』を出版する。

1996年(平成8年)美稲発売
特別純米酒『天の戸 美稲(うましね)』を発売。米本来のうまみを損なわないよう、ろ過などを一切しない山吹色の酒として話題になる。
この年、柿崎秀衛が四代目社長に就任。

1997年(平成9年)
写真家・名智健二氏が雑誌『シンラ』(新潮社)に「千石蔵物語
として天の戸を紹介。広く世間に知られるきっかけとなる。また、同氏によって『天の戸・写真ハガキ12枚セット』や「天の戸オリジナルカレンダー」が制作され、好評となる。

2001年(平成13年)大海酒造大牟禮杜氏との交流
鹿児島の焼酎蔵・大海酒造の大牟禮杜氏が吟醸麹の研修に来蔵。この交流の中から黒麹と白麹のノウハウ学ぶ。漫画家・高瀬斉氏『銘酒礼賛 名誉酒匠・高瀬斉が選ぶこだわりの酒造り「千石蔵」極上の一献102』に「天の戸 美稲」が掲載される。

2003年(平成15年)
フルネット社主催「地酒人気銘柄ランキング2003」純米酒部門に「天の戸 美稲」が4位 にランクインされる。 プレジデント社発行・ダンチュウ2003年3月号に「醇辛 天の戸」が掲載される。

2005年(平成17年)
平鹿町酒米研究会で栽培する酒造好適米すべてを減農薬・減化学肥料栽培(慣行栽培の50%減)に切り替え。「蔵から半径五キロの酒つくり」は減農薬減化学肥料米を使った仕込みとなり現在の形が出来上がる。

2010年(平成22年)全量純米酒仕込
減農薬減化学肥料米「秋田酒こまち」で全国新酒鑑評会10回目の金賞を受賞。これを機会に念願の「全量純米酒」へ大きく動き出す。翌年、アル添酒の在庫もなくなり完全移行。

2012年(平成24年)純米酒で全国金賞
全国新酒鑑評会、純米酒二年目の挑戦で金賞を受賞。

2013年(平成25年)秀衛社長逝去
「まろ社長」と親しまれた四代目柿﨑秀衛社長逝去(享年56歳)。その志を受け継ぎ、弟の柿﨑常樹が社長となる。この年、全国新酒鑑評会連続10回入賞(うち7回金賞)。通算の金賞受賞は11回。